自分が若い頃はデタッチメントのことばかり考えていたなあ

村上春樹河合隼雄に会いに行くを読み返してみて、氏の初期の小説で語られていたデタッチメントのくだりで、ああそうそう、自分が若い頃は
集団生活が嫌で嫌で、なんでこんなくだらないことに時間を取られないといけないんだとか、一人でできるだけ長くすごしたいみたいなこと
ばっかり考えていたなあっていう感情がヨミガエッテキタ。

もちろん、女子といちゃいちゃしたいとか、つきあいたいとかそういう若い頃のセイテキヨッキュウからくる感情の比率も高かったけど、
2番目くらいにランクインするんジャネ。 (わら)

村上春樹氏は海外生活が長かったようで、デタッチメントという感覚を認知したらしい。デタッチメントしたいっていう欲求は東洋人に強いとのこと。
中国とか韓国の人にも共通する感情らしいね。べたべたしたウザったい人間関係が存在する社会にしか生まれないので西洋にはない模様。


今振り返ってみて、集団生活から離れて高みを目指すみたいな感覚で集団生活から離れても、当然の結末として個人でできることなんてたかが
しれているので大したことはやってないんだけど、 (わら) 別になんかすごいことやりたいっていうよりは幸せに生きていきたいって思って
いる自分としては、デタッチメントの延長上にある理想の生活像は中島義道氏の言い分につながっていくかな。

氏の主張は集団生活、社会生活を送って行くとしょうもない雑事の山に埋もれてしまうので、そういうものからできるだけ逃げ出して個人の時間を
増やすことが、充実した人生を送るためのヒケツというような言い分(だと思っている)

集団から離れて高みを目指すわけではなく集団から離れて個人の時間を増やすことで、私生活は充実する。
居心地のいい時間をまったりと過ごすみたいなことを言ってるわけでもなさそうだけど、甘味な時間にどっぷり浸かってヌクヌク生きてすごす
人生というのも悪くないと思う。


生まれてから死ぬまで自分の好きなことを満喫する人生というのも、それはそれで一つの到達点ジャネ。ステキでしょ。 (わら)


まあ、そんなとこ。