卒業式に出て、自分が勉強頑張ったわけを思い出した

今週のお題「卒業」

久々に、父兄として学校に。高校の卒業式なんだけど、あれ、卒業式行ったのハジメテかも。
公立の中高は平日卒業式だっけか?


父兄は狭いパイプ椅子に。狭いよ。両側女親だったので、なんか縮こまって聞いてた。


で、卒業式で生徒が整然と起立、礼を繰り返すの見たり、校長先生やら学年主任やらPTAの
話やら、ひとりひとり名前を読み上げて卒業証書渡すのやら2時間ばかしの式だったけど、
その間じっとして聞いていなきゃいけないシチュエ−ションになって、高校時代の感覚が
よみがえってきた。


先生の話とか聞かされて、なんかそんな話どうでもいいじゃんとか思ったり、何でじっと聞いて
なきゃいけないんだろうとか、いつも思ってた。自分は学校生活がキライで、当時は不登校とか
の人もそんなにいなかったので、じーっと耐えて、でも頭の中ではいろいろなこと考えていたなあ。


今日は今の感情をネタに小説を書いている姿を想像していた。(わら)


でね、そんな堅苦しい集団生活、退屈な学校生活を抜け出したいって思って、自分は勉強を
頑張って、ある程度名前の通った大学に進学した。


社会人になって、今は、生活態度とかに言及とかはされないので、そういう生活から抜け出す
という意味では当時の思いを実現したかもね。 (わら)


コンピュータに向き合う専門的な仕事なので、自分のペースで仕事もできるし、勉強を頑張って
よかったかも。


卒業生の人たちも、別に、みんなが優等生的な考え方をする必要なんかないと思う。
どんな理由でもいいので、高校は卒業した方が自分のキャリアになるし、大学もできるだけ
いいところにいった方がいいと思う。就職したら関係ないとかいうけど、いい方がスタートは
その分、楽だし、敢えて、低くする必要はないと思う。


あと、自分は変な考え方してるとか悩んでる人とかいるんだったら、その人にとってその人自身が
考えていることが、いちばん大事なことだから、周りの目なんか気にせずに、自分の思うとおりに
生きていけばいいと思う。


その代わり、人間は身勝手な生き物だから、他人が身勝手なのは許してあげれば、まあ、上手く
やっていけるんじゃないかな。


っていうのを、卒業する人にはなむけのコトバとして贈りたい。


まあ、そんな感じ。