セカイというのは心が映し出した映像のようなもの

自分たちが見ている世界っていうのはさあ、心の窓から見ているから、月曜日のユーウツな
気分の時とか、嫌いな授業の前とかは世界は陰鬱に見えるし、金曜日の夜は愉快だったりする。


ー そうかなあ、別に景色が変わるわけではないと思うけど。
ー 例えば毎日乗ってる電車が愉快な電車になったり、陰鬱な電車になったりはしないよね。
ー 陰鬱な中央線とかそんな電車があったら乗りたくないわ。 (わら)


陰鬱な中央線。。。僕もそんな電車乗りたくないなあ。(わら)
風景が変わるわけじゃないよ。心のフィルターを通す世界が変わって見えるみたいな意味だよ。
今は心をユーウツにする要因っていうのは圧倒的に社会生活とかが起因のことが多いから、
例えば学校とか、会社とかそういうところの情景に心的要因が加わって景色が変わって見える
みたいな意味かな。


明日の発表どうしようとか、明日のテストが不安だとか何かイベントがあるときや、すっごい
修羅場だとかそういう時は心のフィルターがバイアスをかけていることもあるので、実際に
やってみると思ったほど山が高くなかったみたいなこともある。


ー あぁ、そういうのならわかる気がする。


だから、その日の朝起きる事、人とぶつかりそうになったり、人をよけようとしたら同じ方に
よけたとか曲がり角で左折する車と何回もあったりとか、そういう些細なことを逆引きすれば、
その日の心の状態がわかるという考え方もある。


そういうものを人間世界でやると、マーフィーの法則とかバイオリズムとかの延長上の出来事
にすぎないんだけど、自然を相手にすることで、世界との結びつきや自然の壮大さみたいな
ものと個人の在り方みたいな自分の存在の根っこみたいな哲学っぽいテーマになる。


インディアンの教えみたいなものはそういうものがベースになっているものもある。


ー へぇ、おもしろそうだね。