自分が村上春樹さんの小説を読んでいるとき、何を読んでいるかって言うこと

ここのところ写真関係とか山登り関係の実用書とかブルータスみたいな、雑誌よりは書籍寄りの雑誌しか読んでなかった
ので、本を読みたいなあってキモチになったのは、かなり久々、8ヶ月ぶりくらい。 (わら)

とりあえず、村上春樹さんの小説でも読もうかと思っているところ。自分は村上さんの小説は、中国行きスロウ・ボートから
できるだけ作品の発表順に読んでいるんだけど、どんなにブームになっても、読みたいって気持ちになるまではかたくなに
読まないので、(わら)今はまだ、読んでいない、「海辺のカフカ」とか「神の子供たちはみな踊る」とか「アフターダーク
の辺りからと思っていたときに、たまたまWEBをぶらぶらしていて、ある有名ブロガーさんのブログ記事の村上春樹さんの
小説の批評が深いなあって思いながら読んでいて、ふと、じゃあ、自分は村上春樹さんの小説を読んでいるとき、何を読んで
いるんだろうって思い返してみた。


そうしたら、自分は、主に、2つのことしか読んでないんじゃないかって気がついた。

① 社会性をもった組織に帰属していない、あるいは、社会的なしがらみのない主人公や登場人物の自由さ。

ピンボールとかビールとか納屋とか人工衛星とか井戸とか、ストーリー的にどこにも向かわない方向性のないエピソードの
  浮遊感。

の2つ。


もちろん、細かいところで、文章の行間に埋め込まれているメタファーとかを読み取っているのも楽しいけど、でも、基本的
には2つのことしか読んでないなあ。 (わら)


申し訳ないけど、小説にはいろいろな読み方があっていいと思うので、ふわふわと漂う浮遊感を味わって心地いい気分に浸って
いる状態が好きだし、それぞれの人が楽しめればいい訳なので、自分はそれで行く!!! (わら)


そうして読んでいるうちに、こんなすごいことが書いてあったとか気がつくかもしれないし、(わら)


んー、まあ、いいよね。(わら)


そんな感じ。